万葉集にも詠まれる奈良県・二上山のふもとで、翻訳の仕事にいそしんでいます。
大阪に出掛けて大学院生もしています(社会福祉専攻)。雑多な日々の生活で感じた
ことを、徒然なるままに、Ten thousand leaves 目指して綴ってまいりますので、
どうぞよろしくお付き合いください!

2011年05月20日

[スイス]意思表示をするということ

なんと私、地元の大学で今夏開催される市民講座で、講義を1コマ受け持つことになった目
なんで私がとかは追々お伝えするとして、講義の内容は、「住民が主体になる」とはどういうことなのか、私自身がスイスで経験したことを踏まえてお話して、みなさんで一緒に考えてみましょう〜という感じにしようと思っている。

そして、国民主体・住民主体ということに関連して取り上げないといけないのは、やっぱりスイスの「国民投票」の制度。なので、ちょこちょこっと調べてみると、最近の国民投票にこんなのがあった。



スイスでは安楽死は認められているのだけど、それをチューリッヒ州では制限・禁止しようとしたら、反対派、すなわち安楽死容認派が圧倒的多数を占めたとのこと。

こういう話を聞いて、「スイスではそんなことまで住民が決められるのか〜。日本で住民主体といっても、まだまだだな。いったい政府は何をやってるんだexclamation&question」みたいな感想が出てくるかもしれないけど、私が思うのは、住民がそういう権利をもっているというより、そんな重い責任をもっているということ。安楽死についてどう考えますかという問いに、真剣に考えて答えられるのかということと、出した結論に責任がもてるのかということ。

日本では最近、やたらと世論調査が行われていて、「○○を支持しますか?」みたいな質問をされるのだけど、真剣に考えて答えている人ってどれぐらいいるんだろう?別にどう答えたからって、何か直接的に影響を受けるわけではないんだから、その場の雰囲気、マスコミの論調なんかで結構影響されて答えているんじゃないかな(少なくとも私の場合はそうなるかもあせあせ(飛び散る汗))。でも、国民投票の場合は、出した結果がそのまま国や地域をつくる。国民(住民)が判断を間違ったら、国(地域)が間違った方向へ進む。そこが、世論調査とは圧倒的に違う。

だから日本はこうすべきだ!みたいな結論を私は持てていなくて、こういうやつが講義をしていいのかという疑問は自分自身持っているのだけど、こういった話が今後の議論のきっかけになればよいなあと思っている。

講義というより、ボヤキかこれはふらふら






posted by nara-nara at 11:15| 奈良 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 世界のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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