万葉集にも詠まれる奈良県・二上山のふもとで、翻訳の仕事にいそしんでいます。
大阪に出掛けて大学院生もしています(社会福祉専攻)。雑多な日々の生活で感じた
ことを、徒然なるままに、Ten thousand leaves 目指して綴ってまいりますので、
どうぞよろしくお付き合いください!

2016年03月22日

昔の参考書

いま、ソーシャルワークの倫理に関する本をパラパラっと読んでいる。
そこにカントやベンサムといった名前が出てきたので、そういえば大学受験のときにお世話になったシグマベストの「倫理」参考書があったなあと思って引っ張り出したら、出版年が31年前の1985年だったで、カントのページ開いたら、30歳若い私、ちゃんと大切なところに線を引いてたよ〜

しかし実は私、第1志望の国立大学は落ちた。その頃は共通一次で、もともと世界史で受験することになってたのだけど、どうしても頭に入らなくて、直前になって倫理に変えた。新課程で倫理の授業はなくなっていて、移行措置の段階だったので、独学で受験しないといけなかったにもかかわらず、そういう判断をした。要するに私は、一人でパニック状態になっていて、結局のところ受験は失敗に終わった。

人生初めての挫折というやつで、とにかくしんどい思い出しかないけど、それなりに頑張っていたんだと、参考書の線引きをみて、あのときの自分をほめてやりたい気分になったいま私は、その勉強の続きをやっている。当時より少しは賢くなったはずなので、これからしっかりとつなげていきたいなあと思う。

人生ってほんと、らせん階段みたいだなあ。

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2016年03月09日

修士論文やり直し

2014年春に娘が小学校に入学するとき、私も学校に行きたくなって大学院に進学。専攻は社会福祉学。社会的ハイリスク妊婦(貧困やDVなど、社会で生きていくうえでの困難を抱えた妊婦)とされる女性たちに携わる専門職の方々に対してインタビュー調査をして、その分析結果を修士論文にまとめたのだけど・・・

今回協力してくださったのは助産師さんやソーシャルワーカーの方々で、本当に貴重なお話しをしていただいたのだけど、それをしっかり分析して新たな知見に繋げるという能力が、この2年間では私は身につけられなかったようで修士論文の口頭試問でもそのあたりのいい加減さを指摘され、あまりにも当然のことだったので、私はいまでも、とした春休みを過ごすに至っています、ハイ。

しかし、ラッキーなことに博士課程への進学は決まり、分析をもう一度やり直して、博士課程の投稿論文1本目として書き直すチャンスがもらえたでは、次はバッチリやれるのかと言われると「できます」とは断言できないけど、今度は先生や先輩からいろいろアドバイスもらって、何らかの成果を出せるように頑張ろうと思っています。

この前、大学院に行こうとする社会人向けの本を読んでたら、その著者は「忘れ物を取りに」自分は大学院に戻ったと言っていた。私もそんな感じ。そして、忘れ物はそこにあったのだけど、取れずじまいだったので、もう少し大学に残って、無事に取れたあかつきには、それを社会に還元したいと思ってます。

今日はあいにくの雨だけど、この後もう一度寒くなって、そして春が来たら、私も再スタートです


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2013年03月13日

大学も卒業です

私もこの春、大学を卒業いたしますぴかぴか(新しい)

思い起こせば2011年11月、綾香と初めての海外旅行だと浮かれていたら、大学の最終試験日とバッチリ重なっていたことが判明し、すっかりやる気を失い、予定していなかった5回生になって追加の1年間分の授業料も払わなければならず、ヤケクソになっていたあの日からさらに1年が過ぎて、先日やっと卒業通知書が届きましたかわいい

最後まで残っていたのが卒業レポートで、こちらはなんと、学部長賞をいただけることにるんるん
とは言え、社会福祉学部の卒業レポートは選択科目なので、選択する生徒さんはほぼいらっしゃらないようで、その誰もいない中の一人だから、あんまり大きな声で自慢できるものではないのだけど、少なくとも先生方が読んでくれて、認めてくださったということだと思うので、素直に喜ばせてもらうことにします!
ありがとうございますexclamation×2

この作業部屋の前では梅の花が咲いていて、うぐいすの鳴き声も聞こえるようになってきました。
やっと春ですね。

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2012年08月09日

スクーリングにて(社会福祉実践論)

ただ今、大学近くのホテルの部屋。
今日から2日間スクーリングがあって綾香も一緒。母が勉強中は大学の保育施設にまた入れられているカワイソウな娘ではあるけど、本人は結構楽しかったみたいで、今日はお兄ちゃんたちとオリンピックごっこをしていたらしい。先生はオーストラリアチームにされて、日本が勝った瞬間、花吹雪が舞うというストーリーだったそうだ。

それはさておき。
今日の講義の内容は、主に知的障がい者(児)の家族の現状把握、その改善のためにはどうすればよいか、というテーマだった。さすがに5回生ともなると、初めて聞くというような内容はだんだん減ってきて、そういう意味では少しは賢くなったのかもしれないけど、当初よりも何故か違和感みたいなものが強くなってきた。

自分でもよくわからないけど、今日のグループ討議でも、私の考えはほかの人たちとなかなかかみ合わない。このなんとも言えない居心地の悪さみたいなのは、実は里親研修でも感じるもので、あまり私の考えには賛同してもらえないので、きっと間違っているのか、少数派の考え方なんだろう。

どう違和感をもつかというと、例えば、
「障害者・家族の暮らしの貧しさの特徴は何か」、「障害者・家族の豊かさをどのように形成するか」というテーマで、グループで議論すること。最初の質問で、なんで「貧しい」としているかというと、もちろん経済的なことが大きいけど、自由時間の使い方がテレビを観ることだったり、買い物先がコンビニや自販機だったりするというデータを基にして、彼らの暮らしが「貧しい」としている。

でも、自由時間をクラッシックを聴く時間に充てることが豊かだったり、買い物先がブランドショップだったりすることが、豊かさの表れなのかな。「私たち」は豊かで、「彼ら」は貧しい?
児童養護のことでもそう。彼らはとっても不幸な存在なのかな。私たちは幸せですか?

ちょっと今でも心の中が悶々としていて、文章にまとまりがないけど、私は相手をカワイソウな存在だと決めつけること自体にたぶん違和感を持っているんだと思う。
少し前のブータンの国王とお妃が来られた時も、日本人が衝撃を受けてしまったのは、自分たちのほうが豊かだと思っていたのに、実はそうではなかったのかもしれないって、気づかされたからじゃないだろうか。

やっぱり私は、間違ってますか?



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2011年10月20日

卒業レポート初稿提出

あっという間に紅白がやって来る!とか言ってる場合じゃなくて、いま佛大4回生の私は来春は卒業しないといけなんだよね〜。単位も残っているし、卒業レポートも残っていると言うのにたらーっ(汗)

…とか言っている間もなく、今月15日が卒業レポートの初稿提出締め切りだったので、とにかく書いて出した。

テーマは、

「幼児期における言葉学習・数字学習の意義 〜児童養護施設の幼児にこそ、読み書き計算を〜」。

内容はタイトルそのままで、幼児のうちに読み書き計算を始めましょう、特に施設で暮らしている子どもにこそ、学習の機会を与えましょう、ということなんだけど、この意見にはやっぱり反論の方が多い……のかな?

私がなんでそう思うかというと、やっぱり子どもに「力」を付けてやりたいからなんだよね。福島へボランティアへ行ってから、さらにその思いを強くしたところがあるけど、これからの社会を生き抜くのは本当に大変だと思う。いろんなことが人の力を越えてしまっているところで、自分は何をしないといけないのか、何が正しいのかっていうことを自分で考えて判断しないといけない。教科書やマニュアルは間違っている可能性が多々あって、その通りにしていればいいということはもうない。

だから綾香も含め、これからの子どもはホントにタイヘン。少子化で私たちみたいなおじいちゃん、おばあちゃんを何人も支えないといけないしもうやだ〜(悲しい顔)(←でもよろしくね〜キスマーク)そんななかで何らかのハンデをもっていたら、それこそタイヘン。だから、施設の子どもたちには特に力を付けてあげる必要があると思うのです、私は。

もっと言うと、養護が必要な子どものほとんどが施設に入っているという状態が、まずおかしいと思う。本当はここを何とかしたいのだけど……この続きは、またこんど。







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2011年08月12日

ちょっと忙しいけど

この頃1週間が速いexclamation

大学の卒業レポートを書く目的で、とある児童養護施設さんで学習ボランティアをさせていただいているのだけど、先週はその2回目。あんまり詳しく書けないのがつらいところだけど、「彼らにこそ、しっかりとした学力を」という思いをお持ちで、幼児さんを含めた子どもたちの学習に力を入れられている。

週末は、初の幼稚園ママ会。
これも詳しくは書けないけど、なんやかやとよく似た境遇のママたちだから、話ははずむるんるん帰宅は午前1時。

そして、大学のスクーリング。
綾香も連れて行って、連続2日間の講義だったのだけど、テーマは「家族とはなにか」。
あなたの家族は誰ですか、という質問をされたときに、その答えが人によってかなり違っているのは、家族の定義がされていないからというお話からスタート。実は法学部出身の私なのだけど、日本には「家族法」がないというのに今回初めて気が付いたあせあせ(飛び散る汗)

そして、私たちが思う「家族」というのは、近代社会になってから表れたものであって、以前は農村社会で見られたように労働共同体で、職場と家庭が同じ場だったのが、そうではなくなったときから、「男は仕事、女は家庭」という性別役割分担論が出てきたという話とか。。。なんか、興味深い話がてんこ盛りだったし、何よりとっても熱心な先生で、とても充実した時間だった。

それらの合間には、風邪もひいた。
ということで、とっても忙しい10日間ほどだったのだけど、来週の16日(火)からは、いよいよ南相馬市へボランティアに出発で、ちょっと緊張してきたダッシュ(走り出すさま)
今週末は長靴とか、ボランティアグッズを調達する予定。

う〜ん、忙しいけど、

今の状態は結構よいなグッド(上向き矢印)

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2011年07月06日

患者の自律性の尊重

ここ週末は大学のスクーリングが続いている。

先週は「生命倫理」についての授業。
人の生や死に、医学がどのように関わるのかということで、死については、その当人の意思を何よりも尊重しましょうというのが主旨の授業だと、私は理解した。

もちろんそこには、どの時点から人は死んだということになるのか(心臓停止/脳死/植物人間…)という話や、インフォームド・コンセントについての話もあった。患者にはきちんとした情報を伝えて、その上でどうしたいのかというところで患者の意思を尊重するということだったのだけど、「ガンは告知しない」っていうのが、結構最近までの「常識」だったような気がする。ドラマなんかでも、家族が呼び出されて、病名が告げられて、でも本人には最後まで伝えないでおこうと決めて、でも、本人にはバレちゃって…みたいなやつばっかりだった。


結局、何が正しいかなんて、コロコロ変わったりするんだよね。


ガンの告知についても、きっと以前は不治の病だったのが、今日はダメでも明日なら治せるかもしれないみたいなガン治療の急速な発達があって、患者に対してどうあるべきかというのも、どんどん変わっていってるんじゃないかな。

いずれにせよ、コトが深刻であればあるほど、当人の自律性の尊重って難しくなるように思う。
家族なんか、何とかしてあげたいという気持ちが強くなる分、「当人に良かれ」と思うことを、思いっきり独断と偏見でやってしまう(←当人の同意を得たものではないということ)。そして、当人に良かれと思ってやることだから、それが当人ではなくて、自身の望みであることには全く気付かないし。

将来、病名の告知は本人のみに対して行われて、それを家族に言うか言わないかは本人の希望次第、みたいな時代が来るかも。


まー、なんといいますか、ヘビーな授業でした。


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2011年06月10日

教科書の賞味期限

次の大学のレポートは「精神保健」。
それで『現代人のための精神保健』という本を読んでいたのだけど、各論の第1章が「離婚」となっている。ハテ?どういうことだろうと思って読み進めると、「離婚も自由であり、人権でなければならない」としながらも、離婚が「適応障害」の1つとして取り上げられていたexclamation×2第2章の麻薬関連、第3章のアルコール依存関連、第4章の自殺…を抑えての、第1章だがく〜(落胆した顔)

実はこの本、出版年は昭和51年で私が10歳の年、つまり私の親たちが「該当者」になり得た時代に書かれたものだ(図書館の書架にあった)。いまでこそ、離婚の原因に性格の不一致とかがあげられているけど、この頃は離婚を望むと、当人に適応障害があると見做される可能性があったということかバッド(下向き矢印)。女性の経済力の問題もあったかもしれないけど、これじゃ当時離婚率が低かった(か、いまが高くなっている)のも当たり前かもしれない。いまになって「熟年離婚」ということばが出てきたのも。

でも、今日読むと違和感があるこの本も、当時は正論とされていたんだよね。
ということは、2011年出版の本に書かれていることは、綾香の時代には「間違い」になっている可能性もある。


本の賞味期限に気をつけないと。




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2011年06月09日

少子化の原因

さっき大学の科目レポートを1本提出した。
「子育て支援の目的と留意点を述べなさい」というお題。
子育て支援というと、働く母親のために保育サービスを充実させたり、企業も育休制度を整えたりと、いわゆる「少子化対策」としての支援だと捉えられることが多いけど、そうではなくて、目的はあくまでも子どもの発達を保障することではないかというのが、この講義の主旨だった。

それでレポートを書くために文献を読んでいたところ、「少子化の原因は本当に女性の社会進出か」というのが目にとまった。女性が仕事をするようになったから子どもを産まなくなったと言われるけど、本当にそうなのかという問いかけだ。それによると、女性の社会進出というのは、それまで専業主婦だったのが、子育ても一段落したので何か仕事をしようという女性と、労働力不足のなか低賃金のパートを確保したい企業側の思惑が一致して起こった現象で、女性がみんなバリバリのキャリアウーマンになったから子どもを産めない、産まないというのとは違う、つまり、社会に進出した女性というのは子育てを終了した女性なので、少子化には関係がないという議論だった。

確かに「女性の社会進出」って何?というのはある。
それを国会議員や管理職に占める女性の割合で示そうというときもあるし、パートであってもとにかく給料をもらえるようになれば、社会進出だとされることもある。いずれにしても、少子化は女性の就労状況と関連付けて議論されることが多い。

でも、そこがポイントかどうかは疑問だなあと最近よく思う。
実はいま私を取り囲む環境は「少子化」とはほど遠く、うちみたいに一人っ子は少数派…というかほとんど見当たらず、最低2人で、3人、4人はザラという感じだ。なんでなのか思いつくままに理由を上げてみると、1)近くにおじいちゃん、おばあちゃんが住んでいる(もしくは同居)、2)近所に子どもがたくさんいてて、一緒に遊ばせられるし、他のママがいろいろ助けてくれたりする、3)幼稚園・保育園の待機児童なし、などなど。でもやっぱり一番大きいのは、みんな子育てを楽しんでいるということかな。もちろん楽しめるのは、さっきあげたような条件が整っているということがあると思うけど。これを逆にみると、少子化はやっぱり、子育てを楽しめない理由が、今の社会にあるからかもしれない。解決しないといけないのは、きっとそこなのかなと思う。

唐突ながら、いまドラマ「名前をなくした女神」にハマリ中。
あれもほとんど一人っ子の設定だな。関係あるのかないのかは知らないけどあせあせ(飛び散る汗)



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2010年11月08日

里親制度って知ってますか?

6日(土)に、奈良県、奈良県里親会主催の里親公開講座を聴講してきた。
まずは、『知ってほしい里親のこと』という講演があって、そのあとに里親・里子経験のある方2名の体験発表が続くというプログラムだった。

里親と聞いて、分かるような分からないようなという人が多いかもしれないけど、「里親制度」と「養子制度」は別モノ。養子制度の場合は法的に親子関係になるけど、里親は親子として生活しながらも、一時的によそ様のお子さんを家族に迎え入れるだけで、分かりやすく強いて言えば名字が違うままの関係だ(里子の例:結局は月に帰ったかぐや姫、赤毛のアン)。日本ではこの里親制度があまり浸透していなくて、親の病気や生活苦、虐待などの理由で家族と一緒に過ごせない子どもたちの大半が施設に入る。私は大学の卒論で、「教育」という観点からみたときに、幼児期に家庭的な環境で過ごすのと施設で過ごすのではどのような違いがあるのかを調べ、そこから理想の教育のあり方を考えてみたいと思っているので、(綾香をオットに託し)このセミナーに参加した。

最初の『知ってほしい里親のこと』という講演は、里親制度のことをまったく知らない人でもよく理解できるような、基本事項を全般的に抑えた内容のものだった。私はまったく知らないわけではなかったのだけど、それでも、この制度をより身近に感じるような話がいろいろあった。例えば、どんな人たちが里親になっているかということ。多いのはやはり、実子がいなくて、子どもができるように努力してもできなかった場合に、里親になることを決断した方々、よって、平均的な子育て年齢よりも高い人たちだということだった。そして、実子のいる人はそれほど多くないが、その人たちは子育ての成功体験を持っている人、つまり、自分の子どもで四苦八苦しているのであれば、里親になろうとは思わないということらしい。それは確かにそうだろうなと納得。でも、里子になる子は、それまでにいろんな経験をしてきていて、なかなか大変な子も多いらしく、この成功体験を持っていたはずの人たちが、そのギャップに苦しむこともあるそうだ。

そして、その講演に続いてお話しされたのが、里親経験者の女性。
ご主人は転勤族で、奥様は専業主婦。なんとお子様が5人もいらっしゃるにも関わらず、里子も預かってらっしゃるスゴイ方。でもご本人いわく、「スゴイですね〜」と言われるのに違和感を感じるらしい。自分としては、子どもを5人育てるのも、6、7人育てるのも同じで、特に肩肘張っているわけでもなく、ふつーに生活しているなかで、それぞれがいろいろと学び合っているとのことだった。でも、最初に里親になったときに、「施設生活しかしていない子どもたちなので、ふつーの家庭生活を送らせてあげてください」と言われたのにピンとこなかったとのこと。何がふつーなのかよくわからなかったけど、でも、あるとき里子の女の子が、毎日出勤するご主人をみて、「あのおじちゃんは毎日どこに行っているの?」と聞いてきたらしい。つまり、施設であれば、大人はそこへ出勤してくるのであって、そこからスーツをきて出かけていったりしないから疑問に思ったというわけだ。それと食事。施設では月のメニューが決まっているから、家では今日の晩御飯のメニューが決まっていないことが不思議だったらしい。それに、家では晩御飯の残りは次の朝に食べたりするけど、施設ではそういう「残飯」は廃棄なので、その残飯が食事に出されたときは、それが解せなかったそうだ。こんなふうに、私たちにとって当たり前のことが、施設で育つ子どもには当たり前ではないことが多々あるとのことだった。

次は、自分自身が里子の経験もあり、現在里親をしている女性。この人も実子が3人いる。
その人の話はやっぱりちょっと胸が痛くなることが多くて、施設内でのイジメの話や、施設でも問題児とされていたぐらいやんちゃをしていたので、どの里親も3日として持たなかったこと、そして、ある里親が電話で、「あんな子、さっさと引き取りに来てください!」と言っているのを、階段で聞いていたことなど、生の声をじっくり聞かせていただいた。でも、最後の(現在の)里親、彼女が「おかあさん」と呼んでいる人は、彼女が何をしても、最後の最後まで彼女を身捨てず、寄り添ってくれていたらしい。そのおかあさんがいて、彼女はいま自分が里親になって、子どもを育てている。里親制度が浸透していないこともあり、里親や里子に対して、いろいろな偏見や差別があることも、実例を挙げて話してくれた。

ということで、私は自分の卒論のためにという理由で参加したのだけど、学んだこと、考えさせられることがたくさんあった。いま、児童虐待の問題が大きくクローズアップされていて、それを何とかしようと活動をされている方が多くいらっしゃる一方で、その、虐待を受けている子を家族や地域で受け止めていく制度がなぜ進まないのか、それ以前に、どうして差別や偏見という壁はなかなか崩れないのだろうという疑問も出てきた。

私にできること、それをこれからも考えていきたいと思う。




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2010年10月21日

卒論の相談教員決定

大学の卒論の相談教員が決定したとの通知を受け取った。

先月に「論文テーマ予備調査」というのを提出して、自分がどんなことを研究しようとしているのかという大体のところを報告して決まった先生だ。

で、何を研究しようとしているかというと、児童養護施設での教育について。
そもそも私は綾香の子育てから「幼児教育」に興味を持つようになって、幼児にとって理想の教育って何だろうというところから出発したのだけど、幼児の教育の場というのは、やっぱり家庭が中心。それじゃ、何らかの理由で家庭で育てられていない幼児の教育はどうなっているんだろうということから、このテーマにした。たぶんいろんな課題が見えてくると思うので、そこから逆に、幼児にとっての教育のあり方を考えてみたいなと思っている。

そういったことをもう少し詳しく報告して決まったのは、もともと保育士の保育学専門の先生で、研究テーマは「保育の質」。保育と教育は別モノだと私は思うけど、対象はもちろんまったく同じなので、いろいろご指導いただけるんじゃないかと今から楽しみにしている。るんるん

さて、自分はこれで良しとして、私が大学で勉強しているときは、綾香は大学の託児所に預けられているのだけど。。。

こういうのは、綾香の教育上よろしいのか、よろしくないのかexclamation&question

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2010年09月12日

家庭か施設か

今年の春に大学3回生になったところだけど、そろそろ卒業論文の事前調査票とやらを提出しなければならず、テーマを絞り始めないといけない。そもそも入学の動機というのは、「地域における理想の教育」について考えてみたかったからなのだけど、ここ数ヶ月勉強しただけでも、これはあまりにも漠然とした、イメージ程度のものに過ぎないことに気が付いてきた。もうやだ〜(悲しい顔)

そもそも、「地域における教育」って何だろう?
地域で子どもを育てるって言うときに、「地域」って何を指すのか、「育てる」って何をどうすることを指しているんだろう……とか。
うちの近所はラッキーなことに、綾香と年の近い子どもたちがたくさんいて、お母さんたちが見守るなか、子どもたちはしょっちゅう一緒に遊んでいる(←綾香はスケジュール上なかなか参加できないけどあせあせ(飛び散る汗))。これって確実に、「地域で子どもを育てている」ひとつのパターンだと思う。ただ昨今の新聞をにぎわしているのは、こういうパターンには当てはまらない子どもたち。虐待されている子どもたちもいれば、親を殺す子どももいる。こういう子どもたち、もしくは親たちに、地域は何ができるんだろう。

まず、何らかの事情で親と一緒に住めない子どもたち(要保護児童)は、大きく分けて@施設に入るA別の家庭で生活する、ということになるけど、日本では9割が施設に入るらしい。その一方で、子どもはできるだけ、家庭環境で育つのが良いということが声高に言われている。だから欧米なんかでは、この比率が逆になって、ほとんどが里親などに育てられているみたいだ。

ちょっと脱線するみたいになるけど、介護が必要になった高齢者も、在宅か施設かという話になる。高齢者ご本人は家に帰りたいと言っても、介護する人も高齢者だったり、いろんな条件が整わなくて、やっぱり施設しかないという結果になることは少なくない。でも、その施設もいっぱいで入居待ちが続く。。。といった具合に、家に帰りたいけど帰れない、施設に入りたいけど入れない、みたいなことが繰り返される。ただ、お金があれば話はまったく違う。老老介護やら介護難民といった言葉とは縁遠いところで、悠々自適のシルバーライフを送ってらっしゃるかたも多いはずだ。

で、子どもの場合に話を戻すと、高齢者の場合は金銭面などのハード面の問題になりがちなのが、子どもの場合は、「愛」というソフト面が問題になる。施設よりも家庭のほうが、いっぱい愛情を注がれるだろうという前提があって、できるだけ家庭環境で子どもを育てようという話になるのだろうけど、実際には先ほども言ったように9割が施設で生活している。

それでもやっぱり家庭が1番で、今の比率を逆転させるぐらいの施策が必要なのか、そうであれば、そこで「地域」はどんな役割を果たせるのか、といったあたりを卒論のテーマにできないかなあと、いま漠然と考え中(20日までにまとめないといけないけどあせあせ(飛び散る汗))。

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2010年07月20日

大学で学ぶということ

おーっと、1週間近くもブログ更新していなかったか。。。ふらふらとやっと気付いた私は最近何をしていたかと言うと、1に仕事、そして2に勉強だ。

梅雨も明けて晴れがいっぱいの連休に、私はまたまた大学に行っていた。何もこのクソ暑いのに、より一層暑い京都に行って(それも祇園祭の日に)、オベンキョーペンをする必要もないのではと思わないでもなかったけど、そういう異常行動?を取っているのは私だけではなくて、他にもワンサカといた。それも全国各地からだ。

同じ社会福祉学科に在籍する人たちをざっと見まわすと、すでに福祉や医療の現場で働いている人が多いみたいだ。日々の仕事をしていて、もっと学ばなければとか、資格を取らなければと思った、というのが入学の動機で、私のようにチャラチャラした感じとは違う、気合の入った人たちなのだ。

なので、当然といえば当然だけど、授業中の私語とかはないし、睡魔に負けて寝てしまう人は無きにしも非ずだけど、みんな一生懸命授業を聴いている。まあ、時間やらお金やら、いろんなものを犠牲にしてまで来ているのだから、それなりのものは得ようとするのは、ごく自然なことだろう。

そんな人たちがワンサカいるのだけど、入学者数は右肩下がりらしい。というのも、いろんな大学が福祉の通信教育に参入するようになって、Eラーニングonlyで卒業できるようなところも登場し、生徒がそっちへ流れているのだということだ。いま通っている佛教大学は対照的に、こういうスクーリングはもちろんあるし、レポートの提出もあるし、科目試験も受けないといけないし(そして、ときどき落とされるし)、と結構ハードなので、それを敬遠する生徒も多いということなのだろう。

Eラーニング、確かに便利なのだけどね。
「学びたいから学ぶ」のはずが、「楽に学ぶ」が目標になっちゃったりすることもあるみたい。私はとりあえず、紙と鉛筆で頑張ります。手(チョキ)


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2010年07月05日

異なる価値観を認める

昨日の日曜日で、「社会福祉方法論」のスクーリングが終わった。
名前の通り、社会福祉のメソッドについていくらか勉強したのだけど、それと同時に、社会福祉に携わる者に求められる資質やら精神といったものの確認もあった。

その1つが「価値観の尊重」。
例えば高齢者の方が援助の対象者である場合、その人は援助者よりもずっと長い人生を生きてきていて、そこで築かれた価値観というのは、おそらく若い援助者とは異なっている。でも、その人が持っている価値観を理解して、それを受け入れる姿勢を持つことが、社会福祉に携わる者に求められる、といったことである。

他人の価値観を認めるなんて当たり前だろうと大概の人は思っている。でも、それをするのはとても難しいことなんだというのを体感する演習をした。

まず、土台となるストーリー(ちょっと要約させてもらう)。
登場人物は、婚約中の男女、その男の友人(男)、老人(男)、そして水夫(男)の5人。この5人が乗っていたボートが転覆して、婚約中の男とその友人は行方不明になっている。彼のフィアンセが必死に探したところ、どうやら2人とも彼方の無人島にいるらしい。そこで彼女は水夫に、ボートを修理して、自分をあの島まで連れて行ってほしいと頼んだ。水夫は「一夜ともにするなら」と条件を付け、彼女を悩ませる。彼女はどうしたらいいものか老人に相談するが、老人はこのようなことは自分で決めなければならないと言って、何もアドバイスしなかった。彼女は悩んだ挙句、水夫の条件を承諾。そして、修理されたボートでフィアンセを助けに行き、2人はめでたく再会したが、彼女は彼に事の一部始終を告白。すると彼は激怒し、彼女に別れを告げた。悲しみに打ちひしがれる彼女。それをフィアンセの友人がみて、実は自分も君のことが好きだったと、彼女にプロポーズした…

最初の課題は、この登場人物を、許せないと思う順番に並べるというもの。私が一番許せないと思ったのは、この卑怯な水夫で、次にフィアンセ(男)、フィアンセ(女)、友人、そして老人の順だった。老人を最も許せるに選んだのは、その人が言っていることは、ごく当たり前のことだと思ったからである。

そして、その結果を6人ぐらいのグループに分かれて共有したのだけど、見事にバラバラだった。あせあせ(飛び散る汗)私が一番許せないとした水夫を、一番許せるとした人もいた。なぜと聞くと、無理やり乱暴したわけでもなく、相手の合意を取り付け、なおかつ約束はきちんと守っているからとのことだった。フィアンセ(女)を、「不貞」を理由に一番に選んだ人もいる。そして、このバラバラの意見をまとめて、グループとしての順番を決めて発表するというのが最後の課題だった。

私は当然、他のみんなも水夫を選ぶと思っていたのだけど…。まあ、こういう思い込みが、相手の大切にしていること(価値観)を見えなくするし、また、自分と違う意見の人に対しては、「それは違うやろ〜」みたいに、自分は正しく相手が間違っているという態度に出てしまいがちなのを、少し感じられるようになった。

異なる価値観を認める。
言うは易しだけど、やっぱりとっても難しいこと。もし、これが世界中で完璧にできるようになったら、すべての戦争が終わりに向かうのかもしれない。


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2010年06月22日

スクーリング進捗状況

おーっと、ブログは1週間近くも更新していなかったのかダッシュ(走り出すさま)
この間、世間ではサッカーやら相撲やらと、なぜかスポーツネタが多いように思いますが、気のせいかな。

ブログを更新できなかったのは仕事が忙しかったから、と言いたいところだけど、あんまりそれを言い過ぎると、更新できているときはヒマだと思われても困るので、それはさておき。眠い(睡眠)

5月の終わりから大学のスクーリングに毎週日曜日通っていて、2時間半をかけて京都まで行っている。授業は9時半から18時までビッチリで、現役時代、一応1、2限ぐらいは出席して(寝ていて)、そのあとはテニスオンリーという毎日を送っていた私には、なかなかツライものがある。しかし、私よりツライ思いをしているのは、綾香とお留守番をしているオットのようで。あせあせ(飛び散る汗)実は、改めてすごいなあと思うけど、大学には託児所があり、1時間300円で綾香を預けることができる。でも、朝7時出発で帰宅は夜9時、電車には往復5時間揺られ…そして次の日は月曜日…というのは、やっぱり3歳児にはちょっとカワイソウかと思い、オットには、何とか耐えてもらいたいとひたすら願っている。

で、スクーリングは3科目に入り、つまりは3人の先生の授業を受けたのだけど、やっぱ先生って、いろいろですわ〜ふらふら最初の先生はご高齢であるにも関わらず熱弁を振るっていて、おおスゴイexclamationと思っていたのだけど、2人目の先生は、「生徒間の相互作用を促す」とか言ってひたすらグループ討議をさせ、その間自分は「休憩」していた。あせあせ(飛び散る汗)そして出された試験問題が、「この講義で何を深めることができたか」。まさか、おしゃべりしていただけで、私は何も深めることはできませんでした、とは書けず、解答用紙一面に深められたと思われることを想像しながら書いた。3人目の先生は、「雑学博士」とのみしておこう。

そんなこんなで、この前の日曜日は席が近かった人(同年代女性)たちと学食へ。うどんは150円ぐらい、カレーで200円、定食は350円ぐらいと、私が現役のころとあんまり変わらなかったexclamationそして、水がジャージャー流れているところで、食べた後の食器を洗って、おばちゃんがザブザブ洗っているシンクのところに入れて、お盆を片付けて、ごちそうさまーというのも当時と一緒だった。唯一変わっていたことは…その「オバチャン」と私に、年齢差がなかったことぐらいだろう。あせあせ(飛び散る汗)

ということで、なんやかやと言って私は久しぶりの大学生活を楽しんでいるのだけど、心配なのはオットと綾香。スクーリングはひとまずお盆まで続くんだけど、それまでガマンが続くかどうかたらーっ(汗)

頑張れexclamationヨロシクexclamation×2

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2010年06月01日

「イタリアの保育事情」〜スクーリングより

30日(日)に、初めて大学のスクーリングに行ってきた。
奈良と京都間って、近鉄電車も走ってることだし近そうに思えるんだけど、ドアtoドアで所要時間は約2時間半。授業は9時半から18時までビッチリで、スケジュール的には久々にハードな一日だった(しかし、綾香と二人で丸一日過ごしたオットの方がハードに感じた模様あせあせ(飛び散る汗)

社会福祉学演習の授業で、テーマは「イタリアの社会保障と人間発達の諸条件」。なんでイタリアかというと、ヨーロッパ発祥の地における社会保障の「いま」を知ることで、日本の社会保障を考える有益なヒントを得ようということらしい。こう書くとなんか堅苦しいけど、私がとっても興味を持っている保育についても触れられ、先生のお話が教科書通りの説明ではなくて、イタリアの実情やご自身の経験に沿ったものだったので、見事、一睡もすることなく(ひらめき)授業を楽しむことができた。

で、その保育事情なのだけど、やっぱり日本とはいろいろと違いがあった。例えば、イタリアでは0歳から2歳が保育園で、3歳から6歳(5歳?)までが幼稚園だということ。教育システムとかが異なるので、日本の保育園(もしくは幼稚園)=イタリアで言う保育園(もしくは幼稚園)とはならないかもしれないけど、これこそまさしく、私自身は納得できるシステムだ。

ときどきブログにも書いているし、私が常日頃思っていることなのだけど、日本みたいに、親が働いているから「保育施設」である保育園に入園させ、そうでなければ「教育施設」である幼稚園に入れる仕組みっていうのは、ちょっとおかしいんじゃないかと思っている。だって、「教育を受ける権利」は、すべての子どもにあるんじゃないの!?だから、イタリアみたいに、親が働いている場合は0歳から保育園に預けることができ、一定の年齢になったら全員が幼稚園に入園し、かつ必要であれば、親が帰宅するまで延長して預かってもらえるというのが、よろしいんではないでしょうか?

それとアッと気付かされたのは、子ども観の違い。これはイタリア全体ということではなく、レッジョ・エミリア市の保育事情に関する文献に書かれていたことなのだけど、例えば日本だと、子どもって何かの準備をしている、つまり、進学や将来に備えている存在だと思われている。でも、このレッジョ・エミリアでの保育の根本にあるのは、子どもも、「今をともに生きるひとりの市民」だという考え方。この考え方に立つと、子どもは守らなければならない弱い存在ではなくて、多くの可能性を持った、有能で学ぶ意欲もある、力強い存在ということになる。そして、その子どもを伸ばすために、同じ市民である教師も親も一致団結して、地域に根差した教育に取り組むようになるということだ。

まださらっとしか勉強していないので、ここでは十分には書けないけど、とにかく授業を通していろんな刺激を受けた。刺激を受けたといえば、このクラスは12名ぐらいで私は年齢的には上から3番目といったところなのだけど、若者たちは広島や福井からもやってきていて勉学に励んでいた。「奈良から京都は遠いわ〜」などとは言ってられない状況だった。

さてさて、そろそろもう1人の市民をお迎えに行かないと。
確かに力強い存在ですわ。可能性も無限大。∞∞ ぴかぴか(新しい)






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2010年05月23日

最初の科目試験『社会福祉原論』

今日の午前中に、編入学した仏教大学(通信)の最初の科目試験を受けてきた。大学は京都にあるけど、科目試験は全国で行われていて、私は大阪の難波御堂筋ホールで受験した。

試験勉強はそれなりにしたけど、気持ちのどっかで、「(通信だし)なんとかなるだろう」ぐらいに思っていたら……まず最初にビックリしたのが受験生の数。開始時間の30分前には現地に着いていたのだけど、3基あるエレベーターに乗るのに、ずらーっと行列ができている。がく〜(落胆した顔)そして、私が受験するホールをチェックしたら、そこは500名収容のところでほぼ満杯。あと2ホールを使っての試験だったので、合計1,000名とはいかないまでも、数百人が大阪会場で受験していることになる。それと予想外だったのが、受験者の年齢層。生涯教育の一環で、自分より年上の年配の方が多いのではと勝手に想像してたら、ゼンゼン違って20代、30代の人たちがほとんどだった。

この受験会場に集まっていた人たちが、何を目指して通信制の大学で学んでいるのかはわからないけど、片手間に趣味的に勉強するというのではないことがわかった(←自分と一緒にしてはイケナイということねもうやだ〜(悲しい顔))。この前は母校の学生がデリヘル経営で逮捕されていて、最近の大学生はモラルが低下しているという報道があったけど、「大学生」も「大学」もひと括りにはできなくって、デリヘルを経営している大学生もいれば、通信制を使ってでも勉強している大学生もたくさんいるということだ。

さて、受験した『社会福祉原論』の設問は、

国民の側からみた社会福祉の目的と基礎的な理念について説明しなさい。

これはシラバスに記載されていた「学習の要点」のひとつ。試験勉強準備として「学習の要点」に沿って復習しておくようにという指示があり、その通りにしていたので、一応解答することはできた。あの懐かしいB4サイズの解答用紙の両面に1時間ビッシリ書き続けた(ので、いまは頭がとろけそうになっている)。

まあでも、準備の段階でもビックリしていたのが、模範レポートやら解答がネット上で販売されているということ。がく〜(落胆した顔)さっきの「学習の要点」を検索入力して、いろいろ情報を集めようとしたら引っかかってきた。誰が書いたものかはわからないけど、他人の書いたレポートや解答をわざわざ買って、わざわざ入学した大学の単位を取ろうとはこれっぽっちも思わないけど、売っているってことは買う人がいるってことなんだろう。

大学事情、なんかいろいろですな〜。
また引き続き、レポートしていきます。


posted by nara-nara at 14:36| 奈良 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 大学のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月11日

『社会福祉原論』レポート提出完了

週末に、初めてのレポート(『社会福祉原論』)を提出した。
履修計画は自分で立てられるようになっていて、最初は少し余裕を持って…と思ってたけど、余裕なんてまったくナシ!あせあせ(飛び散る汗)何とか締切ギリギリで提出できた。

まず思い知ったのが、私の脳が「教科書」なるものの読み方を忘れてしまっているということ。一生懸命読んでいるつもりなのに、何度繰り返し読んでも意味がさっぱり頭に入ってこない。例えば、

社会構成体は……、人々の意思や意識の恣意的な判断や偶然の積み重ねが社会を変化させているとみるような非歴史的で非科学的な社会観からも免れているし、……とみるような経済還元主義的な機械的社会観ともまったく無縁である。

「経済還元主義的な機会的社会観」って、つまりは何?
みたいな感じで、意味が分からない。「○○○○原論」っていうタイトルの本って特にそうじゃないかと思うのだけど、とにかくやたら難しい言葉を使って、簡単なことも難しく説明するみたいなところがある。口頭での会話や講座なんかも同じで、やったらと小難しいことを言って、レベルの高い話をしているような雰囲気にする人もいる(←最近こういうタイプはめったにお目にかかりませんが)。

とにかく、ブチブチ文句を言いながらも一応レポート2点完了。
お題は、
1.現代社会における社会福祉の目的や果たすべき役割またそのあり方について、対象である社会問題としての生活問題をふまえて述べよ。
2.「市場の欠陥」と「政府の欠陥」をふまえ、社会福祉「市場化」の問題点と市民本位の社会福祉の課題をまとめなさい。

要するに、社会福祉に市場原理を導入することについての是非を議論するということが、テーマのひとつとしてあったのだけど、これを書くことで、勉強になったことはやっぱりいろいろあった。私は競争好きというか、競争があるからいろんなことがよりベターになるのではと思う方なのだけど、例えば児童に関する福祉、保育関係ではどうなんだろう。保育園同士で競わせて保育サービスの質を上げるとか、いい保育園は高い保育料にする(またはその逆)とか、すごく合理的に思えることも、それは保育サービスを受ける側としてメリットなのかデメリットなのか、保育を受ける権利はちゃんと保障されるのか…とか考えることになったので、ちょっといままで眠っていた脳の部分が、硬さを残しながらもやや動き出したみたいな感じがした。

この科目のテストは今月23日大阪にて。
頭もそうだけど、指動くかな〜。ふらふら





posted by nara-nara at 13:51| 奈良 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 大学のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月04日

学習計画表作成

一旦、大学の学習(履修)計画表が出来上がった。

「計画はご無理のないように」とどこでも言われているけど、できれば4回生のときは卒論に時間をかけたいので、ちょっと強気の計画にした。スクーリングも行けるうちに行っておこうと思って予定を立ててみたら、5月中旬から7月中旬までの日曜日は全滅、お盆前後も忙しい、そのあとはレポート提出が続く・・・と、「ホンマにこれで大丈夫かexclamation&question」と自分で自分に突っ込みたくなるようなスケジュール表になっている。がく〜(落胆した顔)

で、それに合わせてテキストを購入しないといけないのだけど、ちょっとやってみないことにはペース等々がわからないので、冬以降に履修しようとしている科目のテキストは、とりあえずまだ買わないことにした。結局今回の購入テキストは、福祉原論、家族福祉、児童福祉などの計7冊。価格は1冊あたり2,000円前後。現役のときは法学部だったので、もうちょっと高めの本を、もっと買わされたような気がするけど、そういえば同好会の先輩が古いのを譲ってくれたなあ、とか、成績のいい先輩から譲り受けたテキストには、テストに出る!っていうところに線が引かれてあってすっごく助かったなあとか、あの頃の思い出が、走馬灯のように蘇ってくる(←昭和のフォークソングだ!)。たらーっ(汗)

あの先輩どうしてるかなあ。。。

そんなこと言っている場合ではなくなりそうだけど。


posted by nara-nara at 23:44| 奈良 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 大学のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月01日

今日から大学生だ!

なんと私、今日から仏教大学の社会福祉学部社会福祉学科3回生です!
といっても通学はできないので通信ですけど、それでもひっさびさに学生証なるものを手に入れ、わくわくしております!!グッド(上向き矢印)

なんでこういうことになっているかというと、綾香の子育てのために育児書やら早期教育に関する本なんかを読んでいるうちに、「幼児教育」についてすごく興味が出てきて、一度きちんと勉強したいなーと思うようになったから。で、最初は教育学科とかを考えていて、それならいっそのこと小学校の教員免許も取るか!と思っていたのだけど、これは40代のわが身のことを考えて断念(いまさらマットや跳び箱はデキナイふらふら)。それでもうちょっと調べてみると、教えるという観点から教育を見るだけではなくて、「福祉」という観点からも教育を考えることができるのに気づいた。それで、社会福祉学科に決めたというわけである。

入学式にも出席していないし、学校そのものも実は行ったことがないので、あんまりピンと来ないところはある。それでも先日「入学キット」が届いて、学生証やらシラバスを見たりしていると、ちょっとドキドキしてきた。ダッシュ(走り出すさま)スケジュールの組み方みたいのも紹介されていて、それによるともう半年後には卒論の準備に入るらしい。テストは毎月実施されていて、レポートを提出したら、その翌月ぐらいに受験できるようになっている。

まあでも、まだちょっとしか足を踏み入れていないけど、大学事情は私の現役の頃と比べて大きく変わっているようだ。出願準備のときも思っていたのだけど、やっぱりネットの存在は大きい。20年も前の卒業証明書とか、必要な書類はほとんどネットで取り寄せた。これからの大学生活(黒ハート)でも、生徒用のイントラネットみたいなのがあって、レポートの提出やら質問やら、他の生徒のコミュニケーションとか、全部ネット上でできるようになっている。図書館ももちろん利用できて、必要な本を郵送してもらうよう依頼するのも可能だ。

なんかいろんなことがとってもラクになっているようで、これだと最近の学生はラクに賢くなっているんではないかとオバサンは思うけど、これが正しいかどうかは追々みていくことにしよう。

学割どこで使えるかなあ。


posted by nara-nara at 16:43| 奈良 ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | 大学のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする